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宮崎地方裁判所 昭和47年(わ)111号 判決 1975年2月06日

被告人 岡田功

昭八・二・三生 自動車運転者

主文

被告人は無罪。

理由

一、公訴事実

本件公訴事実は、「被告人は、昭和四四年春頃から、中島タカ子(昭和三年一一月一日生)と知り合い、肉体関係を結ぶようになり、将来結婚を約する間柄となっていたものであるが、昭和四七年六月二〇日から被告人が交通事故により宮崎市橘通西四丁目四番二一号所在重城外科医院に入院してのち翌七月五日頃から急に同女の態度がよそよそしくなったため、同女に不満をいだくようになり、同月八日午前一〇時過頃同女に電話連絡した際にも素気なくあしらわれ、さらに同日午前一〇時五〇分頃、タクシーで同市祇園町一八四の二番地所在の中島タカ子経営にかかるラーメン店「ぎおん」に赴いたところ、同女から「何でこっちに来たのか。また薬を飲んでいる。」などと非難されたため、ついに憤激し同店調理場にあった刃体の長さ約一八センチメートルの庖丁を持ち出し、同店舗内において、殺意をもっていきなり同女の右胸部を突き刺し、よって同日午後二時五〇分頃同市霧島町四六一番地所在竹内外科医院において同女を右肺中葉に達する刺創による失血および肺臓急性萎縮のため死亡するにいたらしめて殺害したものである。」というものである。

二、当裁判所が認定した事実

被告人の当公判廷における供述、検察官・司法警察員(昭和四七年七月九日付二通)に対する供述調書、証人島田幸子・同町田稔の第三回公判調書中の各供述記載部分、岡田ハルノ(三通)・島田幸子・町田稔(同意部分)・重城寿雄・日高孝の検察官に対する各供述調書、中島タカ子・島田幸子・町田稔・岡田ハルノ・河野宗次・貴島信夫・高山一雄・中島和恵(二通)・中島文子の司法警察員に対する各供述調書、谷口さくえ・浜砂敏郎・滝本純子の司法巡査に対する各供述調書、医師竹内三郎作成の死亡診断書、医師福島道明作成の鑑定書、現行犯人逮捕手続書、司法警察員作成の実況見分調書、司法巡査作成の現場写真撮影報告書・解剖写真撮影報告書ならびに押収してある野菜庖丁一本(昭和四七年押第四一号の一)を総合すると、次の事実が認められる。

1  被告人は、地元の富田中学校を卒業後、家業の精肉店の手伝い、洗剤販売外交員、タクシー運転手などの職を転々とした後昭和四七年三月頃からは高橋産業の自動車運転手として勤務していた。

2  被告人は、昭和三三年二月頃滝本純子と結婚し、二児をもうけたが、昭和四四年春頃当時の勤務先であった洗剤販売店の家主で近隣に居住し、ロープ販売業などを営んでいた中島タカ子(昭和三年一一月一日生)と知り合い、同店に出入りするうち右タカ子と親密な仲となったため、純子との夫婦仲が悪くなり同四六年一〇月に協議離婚し、被告人は住居地において、母ハルノおよび子供二人とともに生活していた。

タカ子は昭和四三年一〇月に夫一雄と協議離婚したものの、六ヶ月間位同居したりしていたが、同四四年夏頃にはその関係も途絶えた。

3  昭和四四年夏頃から被告人とタカ子は肉体関係をもつようになり、被告人が純子と離婚した後は、一層親密の度を加え、互いにその家庭に出入りし、子供の手前同棲は避けたものの、タカ子の二人の子供が結婚した暁には、正式に結婚し、タカ子が昭和四四年六月頃開店したラーメン店「ぎおん」(宮崎市祇園町一八四番地の二所在)を二人で続けていく約束をするまでになっていた。

4  被告人は、身体的・精神的苦痛に堪える抵抗力が弱く、不快なことがあってもこれを発散することができないような性格を有し、加えて習慣的な頭痛の傾向もあったため、これの解消を薬物への依存に求め、昭和三七・八年頃から睡眠薬ハイミナールを常用して中毒症状を呈するようになり、昭和四一年八月頃から約一ヶ月間精神病院に入院して治療を受けたが、退院後も再びハイミナールを服用し、右嗜癖を完全に断ち切ることができなかった。

同四六年二月頃からハイミナールにかえて鎮痛剤ナロンを常用するようになり、以降通常は一日に二四錠、仕事休みには三六ないし四八錠程度を服用していた。

被告人は、長年にわたるナロンの常用により、ナロンに対しては強度の耐性が形成されてはいたが、それでも一日に二四錠以上のナロンを服用すると舌がもつれたり、運動失調の状態を呈し、四八錠以上に及ぶと、自己の行動を後日追憶することが不可能となることがたびたびあった。

5  被告人は、昭和四七年六月一九日に交通事故に遭い、翌二〇日より外傷性頸部症候群により宮崎市橘通西四丁目四番二一号所在の重城外科医院に入院し、治療を受けるようになったが、同月二二日にはタカ子も交通事故に遭って負傷し、同医院に通院することになり、タカ子は毎日のように同医院に来て、被告人の身の回りの世話などをしていた。

6  被告人は、重城外科医院に入院後も常時ナロンを所持して服用し、時々足腰が立たなくなるまでの運動機能の障害を来たし他の患者にベッドまで運んでもらったり、夜間これが切れると突然大声をだして苦しそうに動き回ったりすることがあったが七月五日頃からはナロンの服用量がかなり増大した。

被告人は、右入院中医師から安静にしているよう指示されていたのにこれを守らず、前記の事故に関する示談交渉のことやタカ子との逢引きのため無断外出が断えず、また医師に無断でナロンを常用していることが発覚したことなどのため七月七日夜同医院を強制退院させられた。

被告人は、退院のため荷物の整理をする際にもナロン一箱(一二錠入り)全部を一気に服用し、同日午後一一時頃母ハルノが同医院にかけつけた時には眼はうつろで舌が少し廻らず、足腰も立たないような状態で、医院の玄関口に座りこみ、訳のわからないことを大声で叫び、人の制止を振り切る有様であった。

被告人は、右医院からタクシーにハルノと同乗して帰宅する途中、他の病院に入院すると言ってきかず、獅子目病院に赴いたが、同病院看護婦から入院を断わられ、さらに独りで県立病院に赴いたものの、翌八日午前二時頃警察のパトロールカーで送られて帰宅した。

7  被告人は、同日午前八時頃起床し、ナロン酩酊のため(起床後にもナロンを服用している)、足元がふらついていたが、ハルノがとめるのもきかず、同八時五〇分頃タクシーで家を出、同九時二〇分頃貴島病院(宮崎市中津瀬町一九番地所在)に着いたが、受付カウンターまで来たときに突然その場に倒れた。

驚いた同病院事務員谷口さくえは、飲酒しているかのごとくふらふらしている被告人の肩を抱えて待合室の椅子に横臥させた。

被告人は同病院々長貴島信夫に対し「みるだけでも良いからみてくれ」と懇請したが、右貴島は被告人の動作や言動がふらふらしていて酒に酔ったような状態で、言語障害も加っている風だったので、これを断わった。

被告人は、同日午前一〇時半頃前記谷口にダイアルを回してもらいタカ子に電話をし、迎えに来てくれるように頼んだが、同女が「いま忙しいから行けない。住吉にお母さんがいるから住吉に行きなさい。」と言ってこれを断わった。

被告人は同病院でタクシーを呼んでもらい「ぎおん」ラーメン店に向った。

8  被告人は、同日午前一〇時五〇分頃、「ぎおん」ラーメン店裏口付近にタクシーを停めてもらい運転手に「住吉に帰るからしばらく待ってくれ。」と言ってタクシーを待たせ、男物ゆかたの帯一本を持って下車して同店裏側勝手口から同店内部を窺ったところ、同店舗内の畳座敷席にタカ子と、被告人らの交通事故に関する保険金請求手続等の世話をしてくれている町田稔がテーブルを挾んで座っているのを認めた。

被告人は表出入口に回って店内に入り、足元がふらつきながらも、同店カウンターを伝って店内通路を通り、タカ子と町田の傍を通り抜けて店舗内炊事場の方に歩いて行った。

この時表口の方に向って座っていたタカ子は、被告人の来訪に気付き、「何でこっちに来たつね。また薬を飲んでいる。医者の言うことをきいて入院しておかんといかん。」と言ったのに、被告人はカウンター横の入口から炊事場に入った。

タカ子は町田と保険加入のことや交通事故による保険金請求のことなどについて話しながらも、被告人のことを気にかけ、さらに「炊事場に入ったら火があるから危いから早く出て来なさい。」と注意したが、被告人は炊事場に入り水道の蛇口から直接水を飲んだ後蛇口の右のテーブルに置いてあった野菜庖丁を右手に握り(被告人の利き手は左手である)、カウンター入口付近まで戻ったが、この時、タカ子は、更に「庖丁を持ったら危ない」と注意した。被告人は、そのままふらつきながらタカ子の方に歩み寄り、これに気付いて驚いたように立ち上ったタカ子に、抱くような格好でもたれかかり、この時、被告人の右手中の前記庖丁はタカ子の右胸部に突き刺った。(被告人にタカ子を突き刺すという格別の積極的な行為があったか否か証拠上明らかでない。被告人に刺す意識がなかったことは三項掲記のとおりである。)

しばらくの間二人は抱き合うような格好でいたが間もなくして離れ、被告人は右庖丁を傍らのカウンターの上に置いた。

被告人は、同店入口付近で同店従業員島田幸子に対し、「タクシーに電話して下さい。」と依頼したが、これを躊躇した島田がしばらく無言でいると、被告人は島田に対し、「あんたには何もせんからかけて下さい。」と言った。傍でこれをきいた前記町田が被告人に対し、「どこへ行くのか。」と尋ねると、被告人は「家に帰る。」と答え、さらに町田から「警察が来るまで逃げたらいかん。」と言いきかされると、被告人は、「逃げやせんとじゃが。」と言って、畳座敷席にふらふらしながら放心状態で座っていたが、間もなく一一〇番通報により馳けつけて事情を察知した警察官から「君が刺したのか。」と質問されると、被告人はこれを肯定する返答をなし、その場で現行犯逮捕された。

9  タカ子は、刺された後そのまま店の外に出て被告人が待たせてあったタクシーに乗車して宮崎市霧島町四六一番地所在竹内外科病院に馳けこみ、治療を受けたが、その甲斐なく右肺臓に達する刺創による失血および肺臓萎縮のため死亡した。

三、被告人の責任能力について

被告人は、検察官の捜査段階および公判段階を通じて、タカ子を庖丁で刺したことについては全く記憶がない旨供述しているところ弁護人は、本件当時被告人は心神喪失の状況にあった旨主張するのに対し、検察官は心神耗弱の状態にとどまったものである旨主張している。

(一)  医師高宮澄男作成の鑑定書(以下高宮鑑定という)には、「被告人は本件当時ナロン酩酊のため通常の判断では理解できない即行的・短絡的な心理規制によって抑制がなくなり、衝動的に本件犯行に至った」旨の記載があり、同医師は当公判廷において、「被告人は当時もうろう状態にあったが、この状態で深く思慮することなく、刺激に対してすぐさま反応する、いわゆる衝動的犯行に及んだもので、全面的に抑制がなくなったものではなく、ある程度の心理規制は可能であった」旨説明し、検察官の主張に副う趣旨とも受けとれる供述をしている。

一方医師鹿子木敏範作成の鑑定書(以下鹿子木鑑定という)には、「本件当時被告人は鎮痛剤ナロンの影響によって精神障害の状態にあった。当時被告人の精神状態には意識変容による人格異質の例外状態が断続的に出現しており、犯行はこの状態にあるときに運動失調が加わったため惹起された」旨の、また同人に対する当裁判所の証人尋問調書中には、「人格異質というのは、本来の人格からは考えられないような、すなわち人格無縁なという意味であり、従ってその行為についてはその人格を非難し得ない意味である」旨の、弁護人の主張に副う各記載がある。

そこで、当裁判所は、右両鑑定を各鑑定人らの証言を考慮しつつ検討し、両鑑定がそれぞれ異なった結論を導き出すに至った経緯は次の点にあるものとかんがえる。すなわち、先づ高宮鑑定は捜査段階における鑑定で、その鑑定資料はその殆んどが捜査記録であり、本件犯行を自白している被告人の昭和四七年七月八日付司法警察員に対する供述調書(右調書が全く措信するに足らないことは後記のとおり)を含め、犯行時およびその直前直後の時点の出来事について或程度具体的に述べている被告人の供述調書に可成りな程度の信用を置き、(1)公訴事実記載のごとき犯行の動機も認められなくはないこと、(2)被告人には本件犯行時その直前直後のことについて可成りな程度の記憶が存すること、(3)被告人の性格(情緒行動面の不安定)等を考慮して結論を出したものであることが窺われる。

一方鹿子木鑑定は、公判段階における鑑定で、公判における被告人の陳述を理解したうえ、(1)被告人の生活史、性格からすると本来些細なことで興奮して攻撃的行為に出るような性格ではないこと、(2)本件行為に及ぶべきほどの動機は存しないこと、(3)被告人の記憶は断片的であり、しかも犯行直後島田や町田らに対しての応答をみれば、ともかくもある程度状況の変化に対応する言動が可能であったことから、被告人はおぼろげながら記憶の中では何かをしでかしたという意識をもっているが、何事が起ったかという明確な意識はないことなどを挙げ、意識喪失・記憶の完全欠如には至らないが、意識の変容を伴う異常な精神状態が出現していたことなどを根拠として結論を出している。

そこで、ナロンの薬理作用、被告人の性格、本件刺傷行為に至るほどの動機の有無、被告人の捜査官に対する供述内容などを検討しつつ、両鑑定のいずれを採るべきか、そして本件当時における被告人の責任能力について考えることとする。

(二)  1、被告人が服用していた鎮痛剤ナロンは一錠中シクロピラビタール一〇〇ミリグラム、アミノピリン五〇ミリグラム、アセトアミノフエン二〇〇ミリグラム、無水カフエイン三〇ミリグラムを含有し、シクロピラビタールはシクロバルビタールとアミノピリンの分子化合物(含有量各二分の一)である。シクロバルビタールはいわゆるバルビタール酸誘導体に属する催眠薬であってこれを過度に摂取した場合の中毒症状として、思考困難、記憶力低下、判断不良、感情のむらなど、また神経学的には発語不明瞭、めまい、運動失調などの症状が出現する。シクロバルビタールの常用量は一日に〇・一ないし〇・二グラム(ナロン二ないし四錠)、極量(危険なく使用できる最大量)は一回〇・五グラム(ナロン一〇錠)、一日一グラム(ナロン二〇錠)である(高宮・鹿子木各鑑定、笠松章著「臨床精神医学」二巻八八八頁以下)。

被告人が本件行為時までに服用摂取したナロンの量は、被告人および関係人の各供述によっても必ずしも明らかではないが、七月五日頃より服用量が増大し、これを連用していたことおよび本件前夜よりの被告人の行動の軌跡などを総合すると、被告人は本件当時通常服用量をはるかに超えるナロンを体内に保有していて意識障害の状態にあったことは明らかであり、高宮・鹿子木鑑定によれば、当時被告人はもうろう状態にあったということである。

2、高宮医師が施行した被告人に対するロールシャツハ検査によると、知的混濁があり、精神の発達はやや未熟であり、自ら骨折って現実を正確にとらえて働らきかけようとせず、刺激のまま動き易い。孤独感や冷淡さがあり、行動は緊張したり、爆発的になったり不安定であるなどの検査結果が出ており、矢田部・ギルフォード性格検査によると抑うつ症大、劣等感大、神経質、攻撃的、活動的などの判定がなされている。また同医師の施行した被告人に対するナロン服用試験では、言語態度の粗野粗暴、多弁多動、落ち着きのないこと、即行性などの特徴が認められるということである。

鹿子木医師も被告人は情緒不安定で他への依存性が強く、自主性に欠け、社会不適応の傾向が潜在している旨指摘している。

母ハルノによれば、被告人はおとなしくて、気が弱く、お人好しの性格をもっている反面、時にかっとなる短気なところもあり、子供の頃は要求が通らないと地団駄を踏んで泣きわめくというようなところもあったということである。

また昭和四六年一一月頃被告人は些細なことでタカ子の前夫高山一雄を呼び出し、ナイフを手にもって脅したようなこともあった。

しかし、被告人の妻であった滝本純子の「被告人は内向的で人の好い、おとなしい性格であって、暴力を振われたこともない」旨の供述(同人の司法巡査に対する供述調書)、タカ子の「あの人の精神状態はまともじゃない。まともであったらあんなことができる人じゃない」旨の娘和恵に対する言葉(中島和恵の八月三日付司法警察員に対する供述調書)ならびに前記高山一雄に対する一件以外、被告人は他人と暴力沙汰を起こしたことがないことなどを考慮すると、被告人が特に易刺激性・攻撃性を有する人間であるとは断じ難い。

3、前記認定のとおり、被告人とタカ子の交際は、三年余の長きにわたり、将来結婚をすることを約し、被告人が重城病院に入院後もタカ子は殆んど毎日のように被告人の病室を訪れていたのであり、本件の前日である七月七日夜には被告人は「ぎおん」ラーメン店を訪れ、タカ子から食事をご馳走になり、また本件当日の午前中には被告人の退院を知らなかったタカ子が被告人の見舞いにも訪れている(日高孝の検面調書)。

七月五日頃被告人がタカ子に無断でタカ子の友人である御崎千代子方においてアンマ機にかかったことでタカ子が気嫌を悪くし、被告人やハルノに文句をいったことがあり、また被告人が重城医院に入院中毎日のようにタカ子に電話した際店が忙しかったり、子供達の手前を慮って、タカ子が被告人に対し余り電話をかけてこないよう注意していたことがあるけれども、前記のとおりタカ子自身その後に被告人を見舞ったりなどしているのであって、二人の間にとくに感情の齟齬があったとは認められない。また被告人はタカ子のいわゆる循環気質ともいえる性格を知悉していて、従前からそれに相応した交際をしてきたものであって、御崎千代子や電話の件で被告人が憤慨していたというような形跡は認められず、検察官が主張するように七月五日頃から被告人がタカ子に対して不満を抱くようになっていたという事情は見出せない。

さらに本件行為時における被告人とタカ子との言葉のやりとりも前記認定の程度のものであって、二人の間に激しいやりとりなど全く存しなかったものである。タカ子はもともと被告人がナロンを常用することを嫌い、常時その服用を戒めていたのであって、被告人にとってタカ子の前記言辞程度のことはこと新しいことではなく、被告人が本件前日強制退院させられるという精神的打撃を受け、他の病院への入院も叶わなかったというような事情を考慮に入れても、とくに憤激のたねとなるようなものであったとは考えられない。

結局本件全証拠によるも、被告人が本件刺傷行為に及ぶべきほどの動機は見出し難いものといわなければならない。

4、被告人の司法警察員に対する昭和四七年七月九日付供述調書(一六丁のもの)には、「店に入ると、カウンター伝いに私は調理場に入り、流し台の前に立ち水道の蛇口を開き水を飲みました。この時流し台の右上に古い野菜庖丁一丁が置いてありました。その庖丁を右手に持ったことは覚えています。」「私は野菜庖丁を右手に持ち、よろめきながらタカ子さんの方に向って行くとき、タカ子さんが座席から立ち上り、私に“庖丁など持って危いが”と言いながら私の手から庖丁を取り上げようとして、私の正面から近づいて来ました。その時私はタカ子さんの正面から同人に倒れかかるようにして右手に持っていた庖丁をタカ子さんの腹部付近に突き刺したように思います。」、「その時タカ子さんは“危ない、痛い”と悲鳴を出したように記憶します。」との記載があり、検察官に対する供述調書には、「私は店内に入ると、“こんにちは”といい、店内の中央の通路を通って奥に入り、カウンター内の調理場に入って行きました。タカ子が“何ごち来たつね。また薬を飲んでいるが”と言ったのを覚えています。」、「私は店内に入ると、立ち停まらずに調理場に入り、流し台の前に立って水道の蛇口から直接水を飲みました。」、「流し台の前に立って水を飲んだ時私は、流し台の上の右側に庖丁一本が置いてあるのを見つけました。私はその庖丁を右手で掴んで持ったのです。その直後タカ子の声で、“危いが”というのがきこえ、私は正面から近づいて来るタカ子を見たのです。そして私も右手に庖丁を持ったままよろよろと倒れかかるようにしてタカ子に近づきました。その直後私の目の前でタカ子が“痛い”というのを聞きました。」旨の記載がある。

右各供述記載および前記認定のとおり被告人が本件行為後島田、町田や警察官との間である程度状況に即した応答をしていることを考慮すると、被告人の本件刺傷行為については全く記憶がない旨の供述は不自然な感がなくはない。

しかし、前記1、2、3、掲記の事由や被告人の当公判廷における供述に照らすと、前記各供述は、被告人が捜査官に誘導されるままに記憶のないことについても、自己の推測を加えてなしたものではないかとの疑いを拭い去ることができない。仮に被告人が本件刺傷行為直前の状況についてのある程度の記憶を有し、また直後の状況に即応した一応の応対をしていたとしても、ナロン服用による意識障害には断続あるいは濃淡があること(高宮証言)、前記認定のとおり、本件刺傷行為に及んでいながら“家に帰る”などと言い出すこと自体いかなる事態が発生したかについての明確な意識が欠如していたものという他ないことなどを考慮すると、被告人が本件刺傷行為について記憶がないということも十分あり得ることだといわねばならない。

なお被告人の司法警察員に対する昭和四七年七月八日付供述調書には、「私がタカ子に“なんでおれが店に来て悪いか”と言ったら、タカ子が“お前のような者は店に来んでもいい”というようなことを言ったので腹が立ってかっとなったので、店の炊事場に入って、流し台の上にあった庖丁をにぎりますと、タカ子が“けがするが”と言ったから、私はかっとなっておりましたから“なにお”というなり、タカ子の腹のところを一回刺しましたが・・・」とあるが、目撃者の供述によっても、被告人とタカ子との間で右のようなやりとりがなかったことは明らかであるから、右供述は被告人が記憶がないままに誘導によってなされた疑いが強く全く措信し得ない。

(三)  前二項認定の事実および前記(二)1ないし4の事由を総合、すなわち、本件当時、被告人は多量のナロン服用に依りもうろう状態にあったこと、本件犯行時及びその直前直後のナロン酩酊に依る被告人の異様な挙動、被告人の本来の性格から本件のごとき犯行は全く理解できないこと、犯行の動機も全く見出し得ないこと、犯行当時のことについての被告人の記憶の欠損状況などを考慮すると、本件は、被告人の本来の人格の延長線上では了解し得ない(人格無縁)ものという外はない。

以上、当裁判所は、高宮鑑定の主要な論拠である前記(1)(2)(3)の点につき、何れもこれを消極に解すべきもの、鹿子木鑑定の主要な論拠である(1)(2)(3)は何れもこれを積極に解すべきものとする立場をとるので、高宮鑑定はその論拠を喪失したものとし、鹿子木鑑定を事実に則した合理的な論拠に立脚するものとして評価し、これに副うた判断をする。

四、結論

本件犯行当時、鎮痛剤ナロンの影響により、被告人の精神状態には意識変容による人格異質(本来の人格規制の及ばない)の例外状態が断続的に出現しており、犯行はこの状態にあるときに(運動失調も加わって)犯されたもので、被告人は、当時、事の是非善悪を弁識、かつこれに従って自己の行動を規制する能力を喪失していたもの、すなわち、心神喪失の状況にもあったものである。

従って、本件は、「被告事件が罪とならない」場合にあたるから刑事訴訟法三三六条前段により、被告人に対し、無罪の言渡しをなすべく主文のとおり判決する。

(裁判官 島信幸 浜崎浩 渡辺安一)

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